禁酒法時代から初代オーナーBarton Browne Founder氏が自宅で隠れ酒場として
開業し、1953年にシカゴにて本格的会員制BAR「ガスライトクラブ」をオープン。
会員には、エリザベステーラーや財界のトップクラスの名前が連なり、
当時の反響ぶりが想像つく・・・
会員の方には鍵をお渡しし、それをお持ちでないと店内に入れない仕組みをその当時作り
上げました。 残念な事に、プレイボーイの社長が1956年の雑誌「プレイボーイ」
11月号にて特集を組み、その後、自らも同じく会員制の「プレイボーイクラブ」を
オープンさせ「ガスライトクラブ」に影響を及ぼした。その後、4度の移転をシカゴ市内
にて繰り返し、現在はシカゴオヘア空港内、ヒルトンホテルにて唯一営業が続いている。
絶頂期には、パリやNYにも出店し、その流れで昭和30年代初頭に、日本の狸穴
(現在の麻布台)にもオープンする。当初は会員制レストランバーとして海外のお客様が
多く、生バンドの演奏、ラグジュアリーな空間を提供していた。
その後、オーナーも変わり、昭和63年にクローズを余儀なくされる。
しかし、平成元年にBARの形態のみを残し、霞ヶ関にリニューアルオープン。
数々のカクテルコンペティションにて日本チャンピオンを輩出し、現在、
霞ヶ関本店、銀座店、EVE、四谷店と歴史を継承している。
※映像の中に現在のガスライトクラブが登場しますが、
現オーナーの井口がシカゴを訪れた際の映像です。